エッセイ夫婦の記録~とは何か

私は家族にとって、連鎖であり拡張でありたい

 週末から週明けにかけて家族と過ごし、このメルマガを書く、という生活リズムが続いています。家族と過ごす“今”は感情の変化の連続で、「“ない”しかない関係性」の世界(1)で生きてきた私にとってはジェットコースターに乗ったような感覚です。そんな感覚の一部を書き記します。

(1) 長谷川高士「受け入れた先に見えてきたのは『集中』でした」『前進の軌跡』第218号,2022年

ステップファミリーとは

 私と妻は婚姻経験者同士の再婚です。共に子どもがおり、妻の子2人は、妻や両親と一緒に熊本で暮らしています。私たち夫婦が「家族(=世帯)」としてイメージするのは、私たち夫婦、子2人、両親、猫2匹、です。
 私は妻から「ステップファミリー(“step family”)」という言葉を教わりました。「私たちはステップファミリーである」と。

 “step”には、家族関係の構造の1つである「継(まま)」という意味があります。「アメリカの代表的な研究者は『成人の少なくとも一人が以前の[別の相手との]関係による子どもをもっている』家族と定義づけて」(2)います。
 対して日本での解釈は「血縁でない親子関係を含んだ家族」(3)に代表されるように「血縁がない親子関係にのみ注目し、……家族構造的特徴を無視して」(2)いると言えます。

 一見すると「何が違うのだ」と思う指摘ですが、それは私(たち)が初婚核家族を「通念的家族」(4)と暗に観念しているからにほかなりません。ステップファミリーを「通念的家族」への擬装を強いられる存在ではなく、それとは異なる構造を持つ別の存在として捉えることの必要性が、強く指摘されています(2)

 日本の定義を振り返ると、「暗黙の内に『継親子関係』を『親子関係』とみなしている点で、『血縁はないけれども親子である』という社会通念を反映している」(2)ことがわかります。
 対してアメリカの研究者による定義は「『血縁』の有無に言及しない」もので、「養子を育てる両親(カップル)が離別した後に新たなパートナーをもった場合にも,継親子関係が生まれると見な」(2)しているのです。

 すなわち「継(まま)」とは「前の別の相手との関係による子どもを次の相手にも引き継ぐこと」を指すのであって、血縁の有無には拠らないどころか、ましてや「血縁がないこと」を意味するものはでは全くない、ということです。

 もしも今、ここまで読み進めたあなたが心理的な抵抗を感じているとすれば、それは「通念的家族」を前提にしたい、というバイアス(先入観や偏見)のせいかもしれません。ほかでもない私自身が、その抵抗をほんのりと感じていました。
 このバイアスを手放して客観的に見つめれば、「ステップファミリーの独自性の中核を成す特性を,血縁の有無でなく,家族関係構造のパターン(継親子関係の存在)に求め」(2)られるはずであり、「ステップファミリーとは,親が新たなパートナーシップを形成した結果として,子どもが世帯内外に継親をもっている家族だと捉え」(2)られるはずなのです。

 本稿を書くことで、ようやく私は「ステップファミリー」の本質を理解し、自らが子ども等の「ステップファーザー」であることを真に自覚することができ始めました。

(2) 野沢慎司「ステップファミリーに親子関係・継親子関係と子どもの福祉─子どもにとって「親」とは誰か」『福祉社会学研究』17巻,2020年,67-83頁

(3) 『大辞林』三省堂,第4版,2019年

(4) 野沢慎司「選択的ネットワーク形成と家族変動」『家族社会学研究』20巻1号,2008年,38-44頁

継(まま)は連鎖であり、拡張である

 最後の定義で重要なのは、視点の主体が子どもであることです。このこと──すなわち、ステップファミリーの構造的特性の本質を理解するために、野沢(2011(5),2016(6))は一対の家族形成モデルを提唱しています。

  • 1)スクラップ&ビルド型
      核家族の消滅と再生を目指す従来型
  • 2)連鎖・拡張するネットワーク型
      1)に対抗する新しいタイプ

それぞれ、次のように説明されます。

1)スクラップ&ビルド型
 離別(あるいは死別)によって親の一方が不在となることでそれまでの「通念的家族」が消滅し,親権・監護権をもつ親と子から成る「ひとり親家族(家庭)」が作られる.さらに親の「再婚」によって,「通念的家族」に近似的な家族が再構成されるパターンである(7)

2)連鎖・拡張するネットワーク型
 離婚後の「家族」は一つの「箱」ではなく,二つの「箱」の壁を超えてつながるネットワークとして存続する.親の再婚を契機に,継親や継きょうだいとの関係が生じ,子どものネットワークは連鎖的に拡張する.このネットワークの結節点は子どもであり、子どもが持つ家族・親族関係は親の離婚によって切断されず,再婚によってむしろ追加される(7)

 2)は、「親子関係を婚姻関係に従属させるのではなく,婚姻関係の有無とは独立に,子どもの権利として維持されるものとする見解」(7)を反映した理解であると言えます。この2)の連鎖・拡張という捉え方は、まさに妻がずっと志向しているものです。このモデルに触れ、あらためて妻の感性の鋭さに驚いています。

 私も妻も、離婚の原因は自らにあり、互いの子どもたちには、無論非は全くありません。ゆえに2)のモデルを、自らを正当化する道具として使ってはならない、と肝に銘じる必要があります。その上で、私と妻の婚姻を契機に、子ども等のネットワークが拡張し、プラスになればと心から願っています。
 「通念的家族」をモデルの1つとしながらも、それを前提とすることなく、私たちなりの家族が連鎖し拡張していく。私たちは、そんな未来を描きつつ、今日も“今”を生きています。

(5) 野沢慎司「ステップファミリーをめぐる葛藤─潜在する2つの家族モデル」『家族〈社会と法〉』27号,2011年,89-94頁

(6) 野沢慎司「ステップファミリーは『家族』なのか」『家族療法研究』33巻2号,2016年,178-183頁

(7) 野沢,前掲注(2)

私は家族にとって、連鎖であり拡張でありたい

 この週末、山鹿市にある「穏(おん)Café あたたかい木」を訪れました。往きの車中で、お店のホームページにある次の文章を読みながら、妻がわんわんと泣き出しました。

 こころの健康だけを捉えても、一時しのぎではないか。回復していく過程の中には、自然の力も
あり、また人間を作っているのは、食であり、大地だと思った……(8)

 妻が涙を流した理由。それは、自分が見落としてきたことがずばり書かれていたからでした。
 つい最近、妻と息子は「鉄や亜鉛などミネラル分が不足している」と医師に診断されました。なんと、体調不良の原因の1つが「食」にあったのです。その時には「仕方ない」とした事情があったとはいえ、私たち家族は「食」をないがしろにしてきた「食育失格家族」でした。

「早く気づいてよかったね」
助手席で泣く妻に、私はそう声をかけました。
「家族で一緒に食卓を囲むこと。まずはそこから始めよう」
私たちは、そう話し合いました。

 家族にとって私は、連鎖であり、拡張でありたい。そう強く願っています。
 家族1人1人の感情は大きく波を打ち、ときに私はその波に飲まれそうになりますが、つながった結節点を私から離すことは決してありません。

(8) 穏Café あたたかい木(https://r.goope.jp/atatakaiki,2022年7月12日情報取得)

今日の気づき

人間を作っているのは、食であり、大地である
私は家族にとって、連鎖であり拡張でありたい

長谷川高士「私は家族にとって、連鎖であり拡張でありたい」『メールマガジン【前進の軌跡】』第219号,2022年7月12日(2022年7月14日改稿)

引用・参考文献一覧

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