妻が運転する車で、ある目的地に向かっている時の話です。妻は、ポストに投函したい封書を持っていました。直近の外出時にその封書を投函し忘れており、「今度こそは必ず投函する」と、妻は思っていました。
助手席に座る私はスマホの地図アプリで、ルート上の郵便ポストを検索します。Googleマップには郵便局は表示されるのですが、路上の郵便ポストまでは残念ながら表示されませんでした。
それでも、ルートからさほど離れていない場所にいくつかの郵便局が表示されました。
「郵便局はどう?」
私がそう提案すると、まあまあな頑なさで、妻はそれを固辞しました。仕方なく私は、走る車の助手席から路上の郵便ポストを探します。ほどなくして赤いポストが目に入りましたが、時速40キロメートルほどで走行しているため、「ポストだ!」と見つけた時には、すでに通り過ぎていました。
「戻る?」
そう私が尋ねると、これまた固辞する妻。妻が持っているはずの「今度こそは必ず投函する」という思いとその行動に矛盾感じた私。それを質すと、何とも意外な答えが返ってきて、私は大笑いしました。
「スーパーマリオだから」
今日のコンテンツでも書いたとおり、車の運転は妻にとってゲームの感覚であり、横スクロールのアクションゲームと同じように「後戻りはできない」のだそうです。
「マリオだと、逃したコインを戻って取ることはできないでしょ?」
妙に納得した私は、妻と2人で再び路上のポストを探します。しばらく走るとポストを発見し、無事投函できました。私たちは、路上のポストが意外に多いことを、図らずも知ったのでした。
なお、ゲーム感覚と言っても妻の運転はいたって安全。安心して乗っていられることを私が保証します。
長谷川高士「「当然」という文化を創ることもまた「創談」」『メールマガジン【前進の軌跡】』第215号編集後記,2022年6月14日(2022年7月2日改稿)