新しい名前は「チーム・トイレの自由」
「減災」について
名称変更について、今年の夏頃から考えてきました。きっかけはマザー・テレサの発言とされる言葉でした。
私は反戦運動には参加しません。でも平和のための活動になら喜んで参加しますよ。
私たちの無意識には否定語という概念がない。そして思考が現実化する。
ネガティブな思考(戦争)はネガティブな結果(戦争)を、ポジティブな思考(平和)はポジティブな結果(平和)を生む。
だから、ネガティブなもの(戦)を否定する(反)よりも、ポジティブな未来(平和)をイメージする。
それをマザー・テレサは知っていたのだ、と言われています(彼女の真意について、異なる見解もあります)。
「あ、これ防災、減災も同じかも」
と思いました。ネガティブなもの(災)を否定する(防、減)。
これほどまでに防災、減災という言葉が一般化した今、この単語をなくすことは現実的ではありません。「防災、減災」の使用を批判する気も毛頭ありません。私も使い続けると思います。ストレートに伝わるので。
ただ「名前に入れなくてもいいかな」と思いました。名前を書き、呼ぶ度に「災」があるのは、嫌だなと。そこで「減災」という冠を下ろすことにしました。
「備え」について
備えは肯定的……だと思っていました。
確かに「備え」の中に否定語はありません。ただし自動詞と他動詞でニュアンスが異なります。
「備わる(自動詞)」の主語は「能力」や「才能」などポジティブなものです。例えば「彼には素晴らしい能力が備わっている」など。一方で「備える(他動詞)」の目的語は「災害」「非常事態」などネガティブなものなのです。
「備え」は他動詞である「備える」からできた転成名詞。備えをイメージするとき、同時にその対象である「何かに……」という起きて欲しくない未来を思考します。
何だか、肩に力が入るのはそのせいかな。
目的を名前に込める
いつも、どんなときも排泄に自由であること。すべての人が生きること。
これがチームの目的です。備えることは、その手段でした。だからこそ「備え」は大切であり、これも否定する気は毛頭ありません。
しかし方法は無限大。「備え」の他にも、やり方はいくらでもあります。
その先にある未来は排泄の自由、トイレの自由。「不自由」を「自由」にしたい、変えたい、という思いが原点です。
目的を名前に込めることにしました。チーム・トイレの自由。
不自由には、今の不自由と未来の不自由があります。未来の不自由のために「備え」を進め、今の不自由のために「支援」をする。チーム・トイレの自由として。
目下の対象は山口県、周防大島。2週間前に発生した事故で、未だ断水中で、復旧までさらに1ヵ月かかる見通しです。貢献できることを模索中です。
実現したい自由はそこら中にある
トイレの不自由を引き起こす原因は、災害以外にも加齢、障がい、ジェンダーなどがあります。
いつも、どんなときも排泄に自由であること。すべての人が生きること。チーム・トイレの自由は、やり甲斐が満載です。
「携トレをやりたい人」が減災チーム・トイレの備えの一員であるように、トイレの不自由を自由にしたい人がチーム・トイレの自由のメンバーです。ともに前進する仲間です。
チーム・トイレの自由を、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2018年11月5日 代表 長谷川高士